【保存版】松代城跡(海津城)完全ガイド|川中島の戦いを見つめた信州の名城【前編】

長野市松代町に残る「松代城跡」。

現在は静かな城跡公園として整備されていますが、その始まりは戦国時代。武田信玄と上杉謙信が激しく争った「川中島の戦い」において、武田方の重要拠点となった海津城が前身です。

北信濃をめぐる攻防を見つめ、江戸時代には真田十万石の中心として発展した松代城。前編では、その歴史と城内に残る見どころを紹介します。

松代城跡とは

松代城跡は、長野県長野市松代町にある国指定史跡です。

かつては「海津城」と呼ばれ、北側を流れる千曲川を天然の外堀として利用した、守りの堅い平城でした。

現在見られる城門や木橋、石垣、土塁、堀などは、発掘調査や江戸時代の絵図をもとに整備・復元されたものです。天守閣のある城とは異なり、石垣や堀、門の配置から当時の城の姿を想像しながら歩くことが、松代城跡の魅力です。

海津城から始まった松代城の歴史

川中島の戦いに備えた武田方の拠点

松代城の始まりは、永禄3年(1560年)頃に築かれたとされる海津城です。

当時、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は、北信濃の支配をめぐって対立していました。海津城は川中島に近く、武田方にとって軍事・交通の両面で重要な位置にありました。

築城者については山本勘助とする伝承もありますが、長野市の公式資料では、武田信玄が川中島の戦いに際して築いた城が松代城の始まりとされています。

千曲川を背後に置き、周囲に堀をめぐらせた城の構造からも、この場所が北信濃を守る重要拠点だったことが分かります。

城主と城名が変わった戦国時代

武田氏滅亡後、北信濃の情勢は大きく変化します。

海津城は上杉氏などの支配を経て、戦国時代から江戸時代初期にかけて城主を次々と変えました。

慶長5年(1600年)、森忠政が城主となった際には「待城」と改称され、その後、松平忠輝の時代には「松城」と呼ばれるようになりました。

時代とともに城の名称が変化している点も、松代城の複雑な歴史を物語っています。

真田信之と松代十万石

元和8年(1622年)、真田信之が上田から松代へ移封されました。

真田信之は、真田昌幸の長男であり、真田信繁(幸村)の兄としても知られる人物です。信之は松代城を藩政の中心とし、その後、松代藩は幕末まで真田家によって治められました。

真田家3代藩主・幸道の時代には、幕府の命によって「松代城」の名称が正式に用いられるようになります。

城下には武家屋敷や寺院、商家が配置され、松代城を中心とする真田十万石の城下町が形成されました。現在の松代町に多くの歴史的建築や史跡が残っているのは、この時代に築かれた町の構造が受け継がれているためです。

洪水と火災に見舞われた城

松代城は千曲川を天然の要害として利用する一方、たびたび洪水の被害を受けました。

特に寛保2年(1742年)の「戌の満水」では大きな被害が発生し、幕府から城の修復許可と一万両の拝借金を受けています。

また、寛永2年(1625年)には二の丸、享保2年(1717年)には本丸・二の丸・三の丸、嘉永6年(1853年)には花の丸が火災に見舞われました。

度重なる水害や火災によって城内の役割も変化し、江戸時代中頃からは本丸南西側の花の丸御殿が、藩主の政務と生活の中心になりました。

現在の松代城跡で見るべきもの

本丸正面の太鼓門

松代城跡を代表する建造物が、本丸正面に復元された太鼓門です。

松代城の中で最も大きな門で、かつては藩士に登城時刻を知らせるほか、緊急時の連絡に使われる太鼓が備えられていたことから、この名で呼ばれています。

木橋の先に太鼓門と石垣が重なる景観は、松代城跡を象徴する場所です。

千曲川へ通じていた北不明門

太鼓門の反対側には、北不明門(きたあかずもん)があります。

この門は千曲川の河岸へ通じていた本丸の裏門です。現在の景色からは分かりにくいものの、戦国時代には城のすぐ近くまで千曲川が迫っていました。

土地の石を使った野面積みの石垣

松代城の石垣には、周辺で採取された柴石や皆神山の石が使われています。

石を大きく加工せず、自然な形を生かして積み上げる「野面積み」が見られます。整然とした近世城郭の石垣とは異なる、荒々しく力強い表情が特徴です。

石の大きさや積み方を近くで観察すると、城を支えてきた構造と長い年月を実感できます。

夜に浮かび上がる、もう一つの松代城

昼の松代城跡では、背後の山々や緑と城門、石垣が調和した穏やかな景観を楽しめます。

一方、夜には城門や石垣、堀の周辺が照明に照らされ、昼間とは大きく異なる雰囲気を見せます。

水面に映る石垣や橋、暗闇の中に浮かび上がる城門は、天守を持たない松代城跡ならではの静かな迫力を感じさせます。

ただし、本丸には開場時間が設定されています。夜間に訪れる場合は、本丸内部へ入らず、周囲の通行可能な場所から見学してください。

明治の廃城と平成の復元

松代城は明治5年(1872年)に廃城となりました。

城内の土地や建物は順次払い下げられ、建物の多くが取り壊されました。城跡の一部は桑畑として開墾され、かつての城郭景観は大きく失われます。

その後、昭和56年(1981年)に本丸を中心とする旧城郭域の一部が、真田邸とともに国の史跡に指定されました。

長野市による「平成の大普請」と呼ばれる環境整備工事が進められ、櫓門、木橋、石垣、土塁、堀などを復元。平成16年(2004年)に現在の姿へとよみがえりました。

前編まとめ

松代城跡は、武田信玄と上杉謙信が争った川中島の戦いから、真田家による松代藩の時代まで、北信濃の歴史を見守ってきた場所です。

壮大な天守が残る城ではありません。しかし、石垣や堀、復元された城門の配置をたどることで、千曲川を守りに利用した城の構造と、真田十万石の城下町が築かれた歴史を感じられます。

後編では、松代城跡の開場時間やアクセス、駐車場、季節ごとの景色、真田邸・真田宝物館などの周辺スポットを紹介します。


English Guide|Matsushiro Castle Ruins

Matsushiro Castle Ruins are located in Matsushiro, Nagano City. The castle was originally known as Kaizu Castle and is believed to have been established as a strategic base for Takeda Shingen during the Battles of Kawanakajima.

The Chikuma River served as a natural defensive barrier, while large moats protected the eastern and southern sides of the castle.

In 1622, Sanada Nobuyuki moved from Ueda to Matsushiro. From that time, the castle became the political center of the Matsushiro Domain, which was governed by the Sanada family until the end of the Edo period.

Most of the original buildings were removed after the castle was abolished in 1872. The remaining site was designated a National Historic Site in 1981. Gates, wooden bridges, stone walls, earthworks and moats were later restored, recreating the appearance of the castle near the end of the Edo period.

Today, visitors can walk through the quiet castle grounds and discover the history of the Takeda, Uesugi and Sanada families in northern Shinano.

参考・公式情報

真田十万石の城下町として、今も歴史的な景観を残す長野市松代町。

この静かな町で、象山神社を舞台にした神前式をプロデュースしているのが「鈴松商店」です。

歴史ある神社で夫婦の誓いを立て、家族との絆を結ぶ一日。一般的な結婚式場とは異なる、松代の歴史と四季に包まれた和婚を紹介します。

松代の象山神社で執り行う神前式

神前式とは、神社の神々へ結婚を報告し、夫婦としての誓いを立てる日本の伝統的な結婚式です。

神職による祝詞奏上、三々九度の盃、玉串奉奠などが厳かな空気の中で執り行われ、ご両家の繁栄と新郎新婦の末永い幸せを祈願します。

鈴松商店が案内する神前式の舞台は、長野市松代町に鎮座する「象山神社」です。

象山神社は、幕末の思想家・佐久間象山を祀る松代を代表する神社。歴史と文化が息づく境内で、静かに人生の門出を迎えることができます。

象山神社で神前式を行う魅力

歴史ある松代で結ばれるご縁

松代は、かつて真田十万石の城下町として栄えた場所です。

町には松代城跡、真田邸、文武学校、武家屋敷などが残り、今も歴史を身近に感じられます。

こうした土地で執り行われる神前式は、単なるセレモニーではありません。松代の歴史を受け継ぎながら、ご両家の縁を未来へつなぐ大切な儀式となります。

四季の自然に包まれた境内

象山神社の境内では、季節ごとに異なる景観を楽しめます。

  • 春は境内を彩る桜
  • 夏は生命力に満ちた深い緑
  • 秋は落ち着いた色合いの紅葉
  • 冬は静寂に包まれる雪景色

歴史ある社殿と自然に囲まれた空間は、和装姿を美しく引き立てます。季節そのものが結婚式の演出となり、その日だけの風景を写真に残せることも魅力です。

華やかさだけではない、心に残る時間

神前式の魅力は、大規模な演出や華やかさだけに頼らないことです。

静かな境内を進む参進、神職が読み上げる祝詞、夫婦で交わす三々九度。儀式の一つひとつに意味があり、新郎新婦と家族が心を合わせる時間が流れます。

落ち着いた雰囲気の中で家族とのつながりを大切にしたい方に、松代での神前式はよく合います。

鈴松商店が結婚式をトータルサポート

鈴松商店では、象山神社の手配だけでなく、神前式に必要となる準備をまとめて相談できます。

  • 象山神社との日程調整・手配
  • 和装衣装の案内
  • 着付け・ヘアメイク
  • 写真撮影
  • 控室や親族への案内
  • 当日の式進行

決められた形式を一方的に当てはめるのではなく、新郎新婦の希望や予算を聞きながら、内容を柔軟に提案しています。

「神前式に興味はあるが、何から決めればよいか分からない」という段階でも相談できます。

相談から神前式当日までの流れ

1.鈴松商店へ問い合わせ

最初に、鈴松商店の問い合わせフォームから連絡します。

具体的な日程や内容が決まっていなくても問題ありません。「象山神社で式を挙げられるか聞きたい」という段階から相談できます。

2.希望内容のヒアリング

対面またはオンラインで、希望する結婚式の雰囲気、人数、衣装、撮影、予算などを相談します。

まだ明確なイメージがない場合も、話をしながら希望を整理できます。

3.プランの提案と日程調整

ヒアリングした内容をもとに、神前式のプランが提案されます。

象山神社の空き状況を確認しながら、挙式日や当日の流れ、必要な準備を具体的に決めていきます。

4.予約確定・準備開始

内容と日程が決まった後に正式予約となり、衣装、美容、着付け、写真撮影などの準備を進めます。

当日まで鈴松商店が一貫してサポートするため、松代以外に住んでいる方も相談しやすい体制です。

観光地ではなく、二人の思い出の町へ

松代は、松代城跡や真田家ゆかりの史跡を訪ねる観光地として知られています。

しかし、象山神社で神前式を挙げる二人にとって、松代は一度訪れるだけの観光地ではなく、人生の節目を刻んだ特別な町になります。

挙式の日だけでなく、結婚記念日や家族が増えたときに再び訪れることができる。町と長くつながっていけることも、地域に根ざした神前式ならではの魅力です。

松代での神前式を考えている方へ

象山神社での神前式は、歴史ある神社で誓いを立てたい方、和装での結婚式を希望する方、家族との時間を大切にしたい方に適しています。

日程、費用、衣装、撮影などは希望する内容によって異なります。まずは鈴松商店へ相談し、自分たちに合った神前式の形を確認してみてください。

鈴松商店について

鈴松商店は、長野市松代町を拠点に、歴史ある町の新しい楽しみ方を提案している地域プロジェクトです。

神前式のプロデュースをはじめ、まち歩き、ワークショップ、文化財を活用したイベント、食に関する企画などを通じて、松代を訪れる人と地域をつないでいます。

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