
長野市の南部に位置する「松代(まつしろ)」エリアは、かつての城下町としての歴史と、豊かな自然、美しい街並みが調和した地域です。観光地としての知名度は決して高くはないかもしれませんが、静かな時間を過ごしたい人、歴史や文化に触れたい人、地元の人々との交流を楽しみたい人にとって、まさに「隠れた宝石」と言えるでしょう。
この記事では、松代エリアの魅力を歴史・観光・グルメ・自然・アクセスという観点からご紹介します。
武家文化が色濃く残る歴史の町
真田家ゆかりの地
松代は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した「真田家」ゆかりの土地として知られています。特に有名なのが、松代城(旧・海津城)。川中島の戦いの際には武田信玄の拠点としても使われ、その後、真田信之(幸村の兄)が初代藩主として入城しました。
現在の松代城跡は、美しく整備された公園となっており、石垣や土塁、堀の遺構を間近で見ることができます。春は桜の名所としても知られ、地元の人たちの憩いの場にもなっています。

真田邸と文武学校
松代の中心部には、かつての武家屋敷である真田邸や、藩士の子弟を教育するために建てられた旧松代藩文武学校など、当時の生活や教育文化を知ることができる建物が多数残されています。これらの施設では、ガイド付きの見学ツアーも開催されており、より深く松代の歴史を学ぶことができます。
第二次世界大戦の痕跡―松代大本営跡
松代には、戦争の歴史を今に伝える松代大本営跡があります。太平洋戦争末期、日本政府が本土決戦に備えて、政府機関を地下に移転させるために建設を進めていた巨大地下壕です。
現在もその一部が一般公開されており、ガイドツアーでは実際に坑道の中を歩きながら、戦争末期の様子や建設の背景について学ぶことができます。観光地としてだけでなく、平和を考える貴重な場所でもあります。
地元食材を生かしたグルメと温泉
地元の味が楽しめる飲食店
松代エリアには、地元食材を生かした飲食店が点在しています。特におすすめなのが、信州そばや松代産の野菜を使った定食、さらには真田家にちなんだ「真田御膳」など、観光と合わせて楽しめるメニューが豊富です。
また、松代の農産物直売所「りんごの里」では、新鮮な野菜や果物、お土産にもぴったりな加工品が手に入ります。
松代温泉でほっとひと息
観光の合間に立ち寄りたいのが、松代温泉。鉄分を多く含む赤茶色の湯が特徴で、肌をなめらかにしてくれると評判です。地元の人々も通う日帰り温泉施設「松代荘」は、旅の疲れを癒すのに最適です。https://www.matusirosou.com/
自然と調和した町並み
松代は、千曲川と山々に囲まれた風光明媚な土地。市街地を少し歩けば、果樹園や田畑が広がるのどかな風景が現れます。秋には一面に広がる稲穂や紅葉、春には桜並木が見どころです。
さらに、山の上には「象山(ぞうざん)神社」や展望台があり、松代の町を一望することもできます。朝夕には、町全体がやさしい光に包まれ、写真好きにもおすすめのスポットです。
アクセスも良好。気軽に訪れられる観光地
長野市中心部から松代へは、車で約20〜30分。バスも1時間に1本ほど運行しており、公共交通でもアクセス可能です。上信越自動車道「長野IC」からも近く、県外からのアクセスも良好です。
長野市内に宿泊しながら日帰りで訪れることも可能なので、信州旅行のプランにぜひ組み込んでみてください。
静かに深く楽しめる「松代時間」を体験しよう
松代エリアは、にぎやかな観光地とは一線を画し、静かに歴史と向き合い、自然の中で心を落ち着けることができる場所です。派手さはないかもしれませんが、その分、訪れた人だけが感じられる「深み」のある旅がここにはあります。
歴史好き、温泉好き、地元の人とのふれあいを求める人、どんな人にもきっと何かしらの「発見」がある松代。ぜひ一度、ゆっくりと時間を取って訪れてみてください。
寄り道したくなる街松代【鈴松商店】がご案内します。松代の“いいね”をつなぐまちの小さな案内人。
歴史あるまち、松代。だけど、それだけじゃないんです。
鈴松商店は、「ちょっと行ってみたくなる」「誰かと一緒に歩きたくなる」そんな“新しい松代の楽しみ方”を発信している、小さな案内所のような存在です。
地元の方も、観光に訪れた方も、そしてこの町に関わってみたいと思っている方も。誰もが自然に出会い、つながり、ちょっとだけ心が豊かになるような仕掛けをつくっています。
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引用 鈴松商店 公式HP https://suzumatsu-shoten.com
松代城(旧・海津城)の歴史
- 築城
武田信玄が川中島合戦(1553–1564)のころに築いた「海津城」が始まりとされ、永禄3年(1560年)が築城の文献上最古の記録です matsushiro-kankou.com+3city.nagano.nagano.jp+3ja.wikipedia.org+3。 - 改称と城主交代
- 慶長5年(1600):森忠政入封とともに「待城」に改称 ja.wikipedia.org+2city.nagano.nagano.jp+2ma-vol.jp+2。
- 元和8年(1622):真田信之が入封して「松代城」に tyottonow.com+4city.nagano.nagano.jp+4ma-vol.jp+4。
- 遺構の現在
現在の太鼓門・石垣・土塁・堀は、平成の整備で江戸時代末期の姿に近づけて復元されたものです ma-vol.jp+2city.nagano.nagano.jp+2ja.wikipedia.org+2。
松代大本営地下壕(象山地下壕)
- 建設目的と規模
太平洋戦争末期、政府機関の移転拠点として昭和19年(1944)11月から突貫工事で約9か月間かけ地下坑道が掘られ、延長10 km超、約8割が完成しました tyottonow.com+2city.nagano.nagano.jp+2matsushiro-kankou.com+2。 - 公開状況
平成元年(1989年)から象山地区の一部が公開されており、毎月第3火曜と年末年始除く午前9時~午後4時(入壕は15:30まで)。ヘルメット着用が必須です matsushiro.org+2city.nagano.nagano.jp+2matsushiro-kankou.com+2。 - 強制労働の記録
延長建設には多くの朝鮮人・日本人が動員されていたとされ、「強制労働」の可能性も言及されています matsushiro-kankou.com+1matsushiro.org+1。
- アクセス:
- 長野市中心部から車で20~30分、バスで30分前後 →matsushiro.org+2city.nagano.nagano.jp+2matushiro.la.coocan.jp+2tyottonow.comja.wikipedia.org。
- 長野ICから地下壕までは車で約2–2.5 km/5分 →matushiro.la.coocan.jp+3city.nagano.nagano.jp+3tyottonow.com+3。
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