1885年6月17日──自由の女神像がニューヨークに到着した日

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1885年6月17日──この日はアメリカ合衆国にとって象徴的な出来事が起きた日です。現在ニューヨーク・ハーバーに堂々と立つ「自由の女神像(Statue of Liberty)」が、フランスから贈られた友好の証として、遠い大西洋を越えてニューヨークに到着しました。この記事では、その歴史的な一日と自由の女神像の背景、構造、そしてその後の影響について詳しく紹介します。

【1. 自由の女神像の起源】

自由の女神像は、アメリカ独立100周年を祝し、フランスからアメリカへ贈られたもので、正式名称は「Liberty Enlightening the World(世界を照らす自由)」です。 この構想はフランス人法学者で政治思想家のエドゥアール・ルネ・ド・ラブライエによって提唱され、彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディが設計を担当。構造設計には、エッフェル塔で知られるギュスターヴ・エッフェルが関わっています。

【2. 分解と輸送】

像はフランスで完成後、1885年5月21日に350個のパーツに分解され、計214個の木箱に梱包されました。それをフランス海軍の輸送艦「イゼール号(Isère)」に積み込み、約1か月の航海を経て6月17日にニューヨーク港に到着しました[*1]。

【3. ベドロー島への設置】

【3. ベドロー島への設置】 自由の女神像の設置場所には、当時「ベドロー島(Bedloe’s Island)」と呼ばれていた島が選ばれました。この島は後に「リバティ島(Liberty Island)」と改名されます。到着後すぐに組み立て作業が始まったわけではなく、台座の建設に遅れが生じていたため、実際に除幕式が行われたのは翌年の1886年10月28日です。

【4. アメリカ国民との関わり】

自由の女神像はフランス政府ではなく、フランス国民の募金により像本体が製作されました。一方で、アメリカ側は台座建設費を負担することとなり、当初は資金難に直面します。しかし新聞社などの支援により広く募金が呼びかけられ、最終的に多くの市民の協力を得て台座建設が完了しました[*2]。

【5. 自由の象徴としての進化】

当初はアメリカ独立100周年の記念像という意味合いでしたが、20世紀以降、自由の女神像は移民にとって希望の象徴となりました。ニューヨーク港に入港する移民たちが最初に目にするアメリカの光景の一つとして、その存在は国民的象徴へと成長していったのです。

6. 現代における意義】

現在では、自由の女神像はアメリカを象徴するアイコンとして、また国連の「世界遺産(文化遺産)」にも登録されています。自由・民主主義・人権という理念を掲げる国の代表的モニュメントとして、世界中から観光客が訪れています。

1885年6月17日は、自由の女神像がニューヨークに到着した歴史的な日でした。フランスとアメリカの友好を表すこの像は、やがて世界中にその名を知られる象徴的存在へと変貌を遂げました。この出来事は、単なる輸送の一日ではなく、両国の歴史と市民の努力が結晶した一日だったのです。


【註釈・参考文献】

[*1] National Park Service: Statue of Liberty History https://www.nps.gov/stli/learn/historyculture/index.htm

[*2] The Statue of Liberty – Liberty Ellis Foundation https://www.libertyellisfoundation.org/statue-history

【参考サイト】

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